力 学 整 体 研 究 所
代 表 の ご 紹 介






力学整体研究所  代表  冨岡 正喜



代表のプロフィール



 日本大学法学部法律学科卒業後、礒谷公良『奇跡の礒谷療法』(祥伝社)という1冊の本に出会い、礒谷式力学療法の「股関節転位理論」に感動し、平成元年から、東京の中野にある礒谷式力学療法所へ、約1年間ほとんど毎日のように通所して、身をもって矯正治療を体験をする。
 その間に、本人は体癖修正運動を、1日に約8時間近くを毎日実行した(この時の体験は、その後の指導などで非常に役に立っている)。
 その通所から1年後、2代目の礒谷俊子院長よりこの仕事を手伝ってみないかという話があり、本部の内弟子となる。
 当時は、初代の創始者である礒谷公良所長の頃の職員の先生方も残っておられ、その先生方に積極的に質問をして、先生方からいろいろなことを教わる機会を得るという幸運に恵まれる。
 その後、先代の頃の先生方の大半が退職されて、礒谷療法所も礒谷式力学療法総本部と屋号が変わり、内弟子から総本部の正式な職員となる。
 在職中は、本部に残られた高弟の菊池秀男副院長と反中武雄先生のお二人の先生を師事して修行を重ね、総本部の治療所で患者さんに教えられながら約5年間の臨床経験を積む。
 同時に、本部の指導教官として、後進や勉強に来た講習生の技術指導に当たる。
 その当時、総本部に残って常勤している専任の先生というのは、菊池副院長と代表の2人だけになってしまっていたのである。
 その間に、峯村浩氏の「自律整体健康法」を知り、「筋硬縮理論」に深い影響を受ける。氏の理論は、新理論への展開という、その後の大きな転機のきっかけとなる。
 長年お世話になった礒谷療法総本部を退職した後、平成7年に地方の地元にて独立開業する。
 独立してから2年後に、これまで長年、不思議に思っていたことや、礒谷療法の旧理論ではどうしても説明のつかない現象など、謎が解けないまま抱きつづけてずっと温めていた疑問をやっと解決できる新理論を考えつく。
 その結果、名称も、旧理論にもとづく礒谷療法から、新理論にもとづく力学整体へと変更して、新理論にもとづいて力学整体の施術と指導を始める。
 その後、岡林龍之氏の「アヒムサ健康法」を通じて、「人間科学協会」会長でカイロプラクターの大湊大鑑氏の「短縮側理論」を知り、新理論を深める。
 そして、現在、力学整体を自ら実践しつつ、より進化・発展させるべく研究活動をし、力学整体は本物の根本療法であるにもかかわらず、なかなか皆さんがそのことを理解しにくいため、力学整体を少しでも理解していただけるように、少数の患者さんを対象に力学整体の説明と施術と指導を生きがいにして日々を過ごすに至っている。