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力学整体研究所ヒストリー


 私がこの仕事に就くことになったのは大学時代に体調を崩したことに由来します。

しかし、当時の私は何だか調子がおかしいとは思っていても、自分の体が悪いのだということに気がつけませんでした。

大学を卒業した後、さらに体調が悪化して、同時にいろいろな症状が現れて来ました。

そうして、どうしようもない状態になってしまってから、やっと自分の体は病んでいることに気がつきました。

自分は病気であるという自覚を持てたときはすでに遅く、日常生活でさえままならなく寝たきりの廃人のような状態に陥ってしまいました。

あまりにもひどい状態になってしまった私は、まだ二十代前半という若さでこれからの人生どうやって生きていったらいいのかと自分の人生に絶望しました。

それからというもの、私は自分の体を治せる方法を必死になって探しました。

私は自分の症状が医学では病名もつかない病気であることに気がついていました。

そのため、医学以外にも自分を治せる治療法を調べてゆきました。

そうした中で、背骨のズレや体の歪みが原因で病気になるという考え方も初めて知りました。

それまで、医学だけしか知らなかった私にとって、医学だけがすべてではないということに驚きました。

医学以外にも治療法があるのだということに衝撃を受けたのです。


 私が初めて読んだ本は、五味雅吉著『腰痛 よく黙っていたもんだ―このおもしろ治療法知ってるか』(青春出版社、プレイブツクス)という本でした。

次に、五味雅吉著 『腰痛 我慢すれば悪くなる―自分で見てやれる図解版』 (青春出版社、プレイブツクス)という本を読みました。

そうして、五味雅吉氏が出している本を次々と読んでゆきました。

ですから、私が最初に出会った治療法は、仙腸関節のズレに着目し骨盤を矯正する五味雅吉氏の骨盤調整法というものでした。

骨盤調整法によれば、背骨が歪むのはその土台である骨盤が歪むからであり、さらに骨盤が歪むのは仙腸関節がズレるからであるというのです。

したがって、いくら背骨を矯正しても、その土台である骨盤を矯正しないと、また背骨の歪みが元に戻ってしまうというのです。

私は、背骨のズレや背骨の歪みを矯正する治療法よりも、その治療法のほうがより原因をさかのぼった治療法ではないかと思いました。

ただし、私は骨盤調整法の理論に対して、なぜ骨盤が歪み、仙腸関節がズレるのだろうかという疑問を持ちました。

しかし、骨盤調整法ではそれ以上の説明はありませんでした。

私は疑問を持ちながらも、骨盤調整法には納得できるものがあったので、五味雅吉氏が主催している自然良能会のほうで紹介している骨盤調整法を受けられる治療院で、自宅から一番近い明石市の治療院へ通うことにしました。

一番近いといっても半日はかかりましたので通院は一日がかりでした。

初めて明石市にある治療院へひとりで行くときは不安でした。

というのも、体調が悪かったので、途中で具合が悪くなってしまい帰れなくなるのではないかと心配したからです。

それでも、何とか無事に治療院へ行くことができました。

そこの治療院へは約2年間通いました。

最初の頃は、治療を受けるとある程度体が軽くなっていたのですが、通い始めてから約1年くらいすると、治療を受けても最初の頃のように体は軽くはならなくなっているのに気がつきました。

それでも、最初の頃にはある程度効果があったこともあるし、他にいい治療法も知らないことから通い続けました。

しかし、通い始めてから約2年くらいになると、これ以上その治療法を受け続けても効果を望めないということが何となくわかって来ました。

私が受けていた治療院では、仙腸関節を中心として骨盤を調整する手技だけではなく、全身の施術も行っており、いわゆる一般的な整体・カイロプラクティックとほとんど同じものでした。

後年になって、私はこの体験から、同じ治療を受け続けると、その治療の効果が逓減するという現象を「治療と刺激」という観点から解明しました。

また、治療効果が逓減するという法則は、「治療の本質」ということと深く関わっているということを発見しました。

こうしたことは、何も整体・カイロプラクティックなどの手技療法だけではなく、他のほとんどの治療法でも同じように当てはまります。

その当時の私は、なぜそう感じるのかまではわかりませんでしたが、その治療法の限界をはっきりと意識するようになったのです。

こうした治療法の壁というものに気がついた私は、途方に暮れてしまいました。


  ちょうどその頃、私は礒谷公良著『奇跡の礒谷療法―自然回復力を活用する』(祥伝社、ノンブック)という1冊の本と運命的な出会いをしました。

当時の私は、何とかもっといい治療法は他にないものかといろいろな治療法の本を読みあさっていましたので、この本の存在については以前から知っていました。

しかし、表紙のカバーの写真が林檎で、サブタイトルに「自然回復力を活用する」などと書かれてあったため、私はてっきり食事療法の本だとばかり思い込んでいました。

礒谷療法という名前からして、いかにも食事療法のような感じがしたのです。

ですから、自分には食事療法は関係ないと思っていた私は、その本の存在を知ってはいても読む機会はありませんでした。

しかし、書店で見かける治療法に関する本を読み尽くしてしまった私は、読む本がなくなってしまいました。

そこで、自分とは関係ないだろうが、何かの役に立つかも知れないと思い、とりあえず読んでおこうと読み始めたものです。

ところが、この本を読み始めてみて、私は驚きました。

というのも、この本には、私がずっと疑問に思っていたことへの解答が書かれてあったからです。

私の疑問というのは、背骨が歪むのは骨盤の歪みが原因であり、骨盤の歪みの原因は仙腸関節のズレにあるという説に対して、なぜ骨盤が歪み、仙腸関節がズレるのかというものでした。

礒谷療法によれば、股関節で骨盤にはまりこんでいる大腿骨の角度がズレると、左右の脚に長短差が生じるというのです。

そのため、二本の脚で立ったとき、長い方の脚の骨盤側は上方へ押し上げられ、短い方の脚の骨盤側は下方へ落ち来て、仙腸関節がズレて骨盤が傾斜することになるというのです。

また、礒谷療法では、股関節で骨盤にはまりこんでいる大腿骨の角度がズレるのは、日常生活での習慣的な動作や姿勢に原因があることを究明していました。



  私はコレだと思いました。

これこそ、私が探し求めていた治療法だと思いました。

私の身体を治せるのはコレしかないと思いました。

ところが、当時礒谷療法を受けられる治療所は東京に一カ所しかありませんでした。

私が住んでいる赤穂からは遠すぎてとても通える距離ではありません。

礒谷療法では、大腿骨が外側へ開いたり、外方へねじれたりすると、脚が長くなるといいます。

その反対に、大腿骨が内側へ閉じたり、内方へねじれたりすると、脚が短くなるといいます。

私は、股関節で骨盤にはまりこんでいる大腿骨の角度がズレると、どうして脚が長くなったり短くなったりするのかという理由について疑問を持ちました。

しかし、礒谷公良著『奇跡の礒谷療法』(祥伝社、ノンブック)という本にはそのことが説明されていませんでした。

そこで、もう少し礒谷療法のことを調べてから今後のことを決めたいと考え、東京の礒谷療法所から礒谷療法に関する本やビデオなどを全部取り寄せました。

ビデオの臨床例には小児麻痺などのすごい記録がありました。

しかし、分厚い専門書でも、理論的な内容は礒谷公良著『奇跡の礒谷療法』(祥伝社、ノンブック)という本とそれほど大差はありませんでした。

本を読んでも、自分はどちらの脚が長いのかよくわかりませんでしたし、自分が何型なのかもわかりませんでした。


  そこで、これはもう実際に治療を受けてみるしかないという結論になって、思い切って礒谷療法所へ電話をかけてみることにしました。

ところが、電話に出た男性からは弱々しい声で「大先生は亡くなりました。療法所は閉鎖していてもうやっていません。」という思いがけない返事がかえって来たのです。

私は驚きました。

せっかくコレだと思える治療法に出会えたのに、それが受けられないというのです。

私は自分を治せる治療法を受けられなくなってしまったと絶望しました。

後日わかったことですが、電話に出られた男性は受付の黒木先生で、礒谷公良先生は平成元年2月7日に亡くなられたということでした。

私が礒谷療法所に電話をしたのはまさにその直後のことでした。

私は礒谷療法に希望を見いだし、何とかこの治療法を受けたいという思いで必死でした。

そこで、きっとお弟子さんがいるのではないかと思い、礒谷療法所のほうへお弟子さんでいいから紹介してもらえないだろうかと手紙を出しました。

しかし、返事はありませんでした。


  その後、私は何をする気も起こらず、時間を無為に過ごしていました。

そんな私を母が見かねて、もしかしたらまたやっているかもしれないから、東京の礒谷療法所へ電話をしてみればと言ってくれました。

しかし、いったん閉鎖した療法所をまた再開するなどということはあり得ないことだろうし、療法所のほうへ手紙を出しても返事がなかったことから、また再開しているとはとても思えませんでした。

ですから、母がそう言ってくれても私はもう一度電話をしようとはしませんでした。

ところが、ある日のこと、母が勝手に礒谷療法所へ電話をしたのです。

そして、母から「また、やっていると言っているよ。早く電話に出て。」と私を呼ぶ声が聞こえるではありませんか。

私は本当に驚きました。というか、療法所を再開しているということが信じられませんでした。

あわてて電話に出た私は、電話口の向こうから聞こえる女性から療法所が再開していることを知らされました。

そして、療法所の案内書を送ってもらえることになったのです。

このときの私の嬉しさというのは言葉に言い尽くせないものでした。

そして、電話をしてくれた母に感謝しました。

もし、母が電話をしてくれなかったら、私と礒谷療法との関係はとぎれてしまっていたことでしょう。

後日、電話口に出てくださった女性は礒谷公良先生の長女の礒谷俊子先生だということを知りました。


  礒谷療法所から案内書が届きました。

案内書を見た私は、とにかく実際に矯正治療を体験してみないことには何も始まらないと思い、礒谷療法所へ電話をして予約を取りました。

当時、予約は午前中だけでしたので、予約時間に間に合わせるには前日に東京で宿泊する必要があり、旅行会社を通じて神田のホテルを予約しました。

上京後、一泊して翌朝、予約まで時間があったので、私はホテルの浴室で入浴をしました。

ところが、弱っていた私の体はお湯の温度で急激に血流が速くなったのについてゆけず、気分が悪くなってしまいました。

このとき、自分の体はここまで弱っているのかと愕然としました。

しばらく休んでいると、やっと落ち着いて来た私は、ホテルを出て礒谷療法所へ向かいました。


  礒谷療法所へ初診で行くと、まずビデオを見せられました。

その後、検査を受けてLO型という型に決まり、矯正治療を受けました。

それから、自宅矯正法や日常動作による矯正法の指導を受けました。

後でわかるのですが、私の検査と矯正治療を担当してくださったのは菊池秀男先生で、自宅矯正法と日常動作による矯正法を指導してくださったのは細木原先生と水野先生でした。

実際に教えていただくと、本を読んで理解していたやり方とはかなり違っていました。

やはり、こうした矯正治療法は、書籍などの写真、イラスト、文章等で理解するのには限界があることを知りました。


  あれほど憧れていた治療法を実際に受けることができたわけですが、治療法を受けられたという感動はあるものの、その効果となると正直なところよくわからないというのが本当のところでした。

それで、これはやはり私の悪化した体では1回や2回くらいの治療では効果は出ないものなのだと思いました。

というか、自分の体で1回や2回くらいで効果が現れてるほうがおかしいくらいに考えていました。

ですから、効果がなくてもむしろ当然だし、この治療法は継続して受け続けなければいけないと思いました。

何年かかるのかわからないが、とても短期間でよくなるものではないということは自分でもわかっていました。


  そこで、東京の中野駅の近くでアパートを借りて、礒谷療法所へ通う決心をしました。

しかし、私の体では東京の夏の暑さに耐える自信がなかったことから、9月の上旬を過ぎて涼しくなって来る中旬の時期から本格的に矯正治療を受けることにしました。

8月になって、上京して中野駅の近くでアパートを借りました。

その際、礒谷療法所へも行き矯正治療を受けてから帰省しました。

そして、9月13日に上京し、礒谷療法所で本格的に矯正治療をスタートしました。

その時、私は28歳でした。


  私は、1年間ほとんど毎日礒谷療法所へ通いました。

私の矯正治療を担当してくださったのは主に反中武雄先生でした。

その間、私は必死になって矯正治療を受けました。

礒谷療法では屈伸運動という運動療法があるのですが、私はこれをほとんど毎日欠かさず1日約8時間以上も実行していました。

この屈伸運動をやったことがある人はわかるのですが、毎日8時間以上しかも1年にわたって屈伸運動を行える人というのはほとんどいないと思います。

私は治りたい一心で決死の覚悟でやり通しました。

本には治療期間として3ヶ月と書いてあったので、私は3ヶ月くらいすればある程度何らかの効果があるのではないかと自分でも計算して見込んでいました。

しかし、3ヶ月を過ぎても一向に良くなる気配がありません。

それどころか、礒谷療法の矯正による反応が出て来たのです。

この最初の3ヶ月めで、私は礒谷療法を止めようかと正直迷いました。

しかし、礒谷療法以外に頼る治療法もなかったし、あまりにも礒谷療法を信じる気持ちが強かった私は、3ヶ月を過ぎてもそのまま続けました。

1ヶ月ほどして反応の一つは消えました。

しかし、もう一つの反応のほうは先生にもわからないようでした。


  そうして矯正治療を開始して約1年が経過した頃です。

ある肌寒い日に、地下鉄の駅のホームで電車を待っていると、左頬に痺れが走るのを感じました。

このとき、私は、左頬から顎にかけて絶えずあった痺れがなくなっていたことに気がつきました。

絶えずあった痺れが消えていたことにずっと気がつかずにいたのですが、再び痺れが走ったことで以前あった痺れがなくなっていたことに気がついたのです。

このとき、目に見えないところで、私の体は確実によくなっていたのだと思いました。


  ちょうどその頃、私にとって人生の岐路を決める大きな転機が訪れました。

礒谷公良先生の後を継いで礒谷療法所の二代目院長になっていた長女の礒谷俊子先生から礒谷療法所の仕事を手伝ってみないかというお声をかけていただいたのです。

私は体調を崩してからというもの自分の人生を諦めているところがありました。

しかし、患者として礒谷療法所に通いながら、私のように病苦で悩んでいる人のために、できれば礒谷療法所の仕事のお手伝いができればと思うようになっていました。

私のような役立たずの人間でも、人のお役に立てればどんなにいいだろうかと思っていました。

たとえ礒谷療法の技術を教えてもらえなくても、礒谷療法所の仕事なら雑用でも構わないという気持ちでした。

それが、はからずも礒谷療法所の内弟子として中へ入ることができたのです。

しかも、当時は礒谷公良先生のお弟子さんたちが職員として7名も残っていたのです。

こんな幸運に恵まれるとは思いもしませんでした。

その時、私は29歳になっていました。


  内弟子として入った当初は、出勤する日にちも毎日ではなく、勤務時間も短かったのですが、すぐに毎日朝から晩まで診療時間いっぱい勤務するようになりました。

さすがに丸一日勤務するようになってからは屈伸運動を8時間もすることはできなくなりました。

それでも、2時間は確保するようにしていました。

内弟子として中へ入ってみると、患者として知っていることと、先生として知っていることには大きな隔たりがあることがわかりました。

いくら患者さんとしていろいろ教わったり経験したとしても、患者さんと先生とでは知識の差が大きいのです。

患者さんとして学べることと、先生として学ぶこととでは知識の内容の面でも違っていました。

患者として1年間毎日通っていろいろなことを覚えたつもりでも、知らないことのほうが多かったのです。

私は自分の知らなかった新しいことを学べる喜びでいっぱいでした。

私は日頃から疑問に思っていた内容を礒谷公良先生当時から残っておられた職員の先生方にそれぞれ同じ質問をしたりしていました。

当時の先生方からこのような貴重な内容を毎日学べる機会を与えらた私は本当に幸運でした。

しかし、しばらくしてその先生方も菊池秀男先生と私以外は退職することになりました。

私は正式な職員として礒谷療法所に残ることになったのですが、私にとってこのことはとても残念なことでした。

ただ、反中武雄先生と黒木先生は引き続き出勤はされていました。


  そうして、礒谷療法所の常勤の職員としては菊池秀男先生と私だけになってしまいました。

それからというもの、私の矯正治療は反中先生に替わって菊池先生に毎日していただくようになりました。

私が最も師事した先生はお二人いらっしゃいます。

菊池秀男先生と反中武雄先生です。

このお二人の先生から教えていただいたことは数限りなく、その恩恵は私にとって大きな財産となっています。

私を治療家として育てていただき、お二人の先生には今でも本当に感謝しています。


  礒谷療法所ではいつも菊池先生と一緒でしたし、現場の責任者である菊池先生からは本当に多くのことを学びました。

私が一番多くのことを教わったのは菊池先生からです。

菊池先生はご自身が現場で眼で見て、声で聞いて学んだせいもあって、私にも同様の学び方を要求されました。

菊池先生は私に手取り足取りは教えてくれませんでした。

そのせいもあって、私は菊池先生からは技術と知識を盗むような学び方をしました。

当時、礒谷療法所に患者さんとして20年来以上通所されていて、礒谷療法所の仕事にもお手伝いに来てくださっていた白鳥さんという方がいらっしゃいました。

その白鳥さんからは、礒谷療法の技術と知識を学べるのは菊池先生とずっと一緒にいるあなたしかいないのだから、礒谷療法所にいる間は菊池先生から学べるだけ学ばなければいけないよと言われたりしました。

あなたの仕事は菊池先生の技術と知識をできるだけ盗むことだとも言われました。


  私は菊池先生の施術の仕方を毎日注意深く観察していました。

ちょうど1年くらい経過した頃に、私は菊池先生が施術のやり方を患者さんお一人お一人に合わせて微妙に加減しているのが眼で見えるようになりました。

患者さんによって施術を変えていたのです。

毎日一緒にいて毎日見ていたのにそれまでは見えていなかのです。

このことは私にとって本当に驚きでした。

毎日菊池先生と一緒にいて菊池先生の手技の微妙な調節が見えるようになるまでに1年もかかったのです。

と同時に、見えるようになったことが嬉しかったです。

そして、見えるようになると、この先生は何て上手いんだと感心もしました。


  私は菊池先生の話にも絶えず注意を払い、聞き耳を立てていました。

先生の話から学べることが多かったからです。

特に、患者さんとのやりとりは参考になりました。

たとえば、礒谷療法では、屈伸運動というのがあります。

この屈伸運動というのは、患者さんの脚型を判定して、脚型に合わせた基本的な足の位置が決まっています。

それだけなら、脚型さえ決まれば、それに応じた足の位置で実施していただければいいわけです。

ところが、患者さんによっては基本的な足の位置では駄目なこともあり、また、屈伸運動中に何らかの症状が発生した場合、その症状に合わせて足の位置を変えてゆかねばならないのです。

そのため、変型のパターンは複雑で、それらを覚えるのに苦労をしました。

患者さんが先生に足の位置の変え方を質問し始めると、患者さんと先生の近くに寄って行って、先生が患者さんの足の位置をどのように変えているかを見ているわけです。

この場合は、このように変えるのだというふうに一つ一つを積み重ねて覚えていきました。

そうして、基本的な変え方がわかるようになるのに6ヶ月かかりました。

さらに、応用的な変え方がわかるようになるのには1年かかりました。

変え方がわかるようになると、原理がわかるようになり、変え方の法則もわかるようになりました。


  菊池先生を師事して3年くらいたった頃には、私はもう覚えることはないだろうと思っていました。

ところが、ある動作のやり方で菊池先生が話されているのを聞いていると、それは私の知らないことでした。

私は自分でもまだ知らないことがあったのだと驚きました。

菊池先生とは3年間毎日一緒にいてもまだ覚えていないことがあったのです。

礒谷公良先生はその著書の中で、礒谷療法を習得するのに2〜3年はかかると書かれているのは本当だなと思いました。

菊池先生は一人前になるには10年かかると言われていました。

したがって、礒谷療法を習得するのには、優れた先達に就いて、最低でも2〜3年はその先達と毎日一緒にいて指導を受ける必要があります。

ですから、講習会や研修会、セミナーなどで礒谷療法を習得することはできません。


  反中先生は退職後も礒谷療法所のほうへよく出て来られて仕事を手伝ってくださっていました。

反中先生は小児麻痺などの重症患者さんに行う副木固定法の専門家でした。

私は反中先生によく質問をしていろいろ教わりました。

私が何度も質問をしても、その都度丁寧に教えてくださるのです。

私が礒谷療法について一番質問をして聞いたのは反中先生です。

反中先生には副木固定法も教わりました。


  礒谷療法所では菊池先生と私だけの二人きりになってしまっていたので、私を早く育てるために比較的早くから患者さんの矯正を担当することになりました。

それでも、私は礒谷式の股関節矯正法をある程度習得できるまでに約6ヶ月かかりました。

6ヶ月くらいしてやっと普通の患者さんの矯正ができるかなと思えるようになりました。

しかし、股関節脱臼や変形性股関節症などの患者さんの矯正はまだ習得できませんでした。

股関節脱臼や変形性股関節症などの患者さんも矯正ができるかなと思えるようになるには約1年かかりました。


  私は股関節を矯正する技術についても自分なりに工夫して練習を繰り返しました。

銭湯には大きな鏡があったので、鏡の前で自分の手技を見ながら何度も練習したものです。

礒谷式の股関節矯正法は股関節を屈曲した状態で方向転換するので、患者さんとしては少なからず衝撃があります。

これを何とかしたいと思いました。

最初は、この股関節矯正の方向転換を直線方向ではなく円方向で操作してみればいいのではないかと考えました。

武道などでも直線の動きより円の動きのほうが優れているというからです。

しかし、股関節矯正の方向転換に円方向での運動を施すと、かえって股関節部に負担をかけることがわかりました。

そこで、私は股関節で屈曲後の反動を利用して方向転換をはかるという技術を開発しました。

これなら、患者さんが矯正時に受ける衝撃が少なく、施術者も施術時にそれほど力をいれないで済みます。

また、矯正時の反動を利用するため骨格系と同時に筋肉系も無理なく方向の転換が可能になりました。

施術者が力を抜いて施術を行えるため、患者さんも軽く施術を受けることができるようになりました。

その点で、私の股関節矯正の技術は他の先生とは違います。

患者さんからも私の施術が他の先生とは違い独特であると指摘されることがあります。


  私が礒谷療法所の内弟子として入った頃、礒谷療法所では講習会制度が始まりました。

そのため、礒谷療法所では講習生を受け入れ、菊池先生と私が講習会の講義と実技を担当することになりました。

当初、菊池先生が礒谷療法の講義と股関節矯正法の実技を担当し、私はその他の実技と自宅矯正法や日常動作による矯正法などを担当しました。

その後、私は股関節矯正法の実技も担当するようになりました。

講習会制度が開始した最初の頃は、講習会は2日間で行われました。

その後、研修会制度が追加されました。

講習会を受けた講習生が研修会に参加して研修生として研修を受けるというものです。


  私はこうした講習会や研修会を通じて、講習生や研修生を見ていて礒谷療法を習得するのにかかる時間というのがわかってきました。

また、礒谷療法師として礒谷療法を習得するには、施術者や指導者として理論と技術を学ぶだけでは不十分だということもわかってきました。

自分も一患者として毎日礒谷療法の施術を受けながら自宅矯正法と日常動作による矯正法を実行する必要があります。

以上のことを前提にすると、礒谷療法を習得できる期間というのははっきりしてきます。

入門期では、礒谷療法のことが何となく最低限度わかるようになる段階までに約6ヶ月間(1440時間)かかります。

初級期では、礒谷療法のことがある程度わかるようになる段階までに約1年(2880時間)かかります。

中級期では、いろいろな臨床例に出会い礒谷療法を身につける段階までに約2年(5760時間)かかります。

上級期では、臨床経験を積み重ね礒谷療法を体得する段階までに約3年(8640時間)かかります。

約3年で習い事やお稽古ごとの初段といえるでしょうか。

ただし、これは優れた先達に就いて毎日朝から晩まで一緒に現場にいて経験を積むことと並行して、自らも毎日礒谷療法を実践するという前提での話です。


  私自身も礒谷療法を習得するのに、上記の期間がだいたい当てはまります。

もっとも、私の場合は疑り深い性格もあって、どこかで礒谷療法を疑っているところがずっとありました。

それで、私が礒谷療法のことを納得できるようになるまでは約4〜5年近くかかりました。

4〜5年という幅があるのは、ある時点で急に納得したということではなく、疑えるところまで疑っても礒谷療法に一定の効果があるということを徐々に認めざるを得なくなる経緯があるからです。


  私自身の矯正治療は、矯正を開始してから約2年後に矯正のし過ぎで脚型が反対になってしまいました。

そのため、右側にひどい腰痛が起こり、脚にも痛みが出てしまいました。

そこで、LO型だった脚型をLOS型、ROS型、RO型と順次変えていき、とうとうR型になってしまいました。

しかも、R型でも極端に右足を後ろへ引く応用形の足の位置にせざるを得ませんでした。

私は体調を悪くしてからずっと腰痛がありました。

定期的にギックリ腰を起こしては動けなくなっていました。

礒谷療法の矯正治療を始めてからも、時々ギックリ腰を起こしました。

内弟子になってからもギックリ腰を起こしていました。

ギックリ腰を起こした時は、さすがに患者さんの施術はできません。

礒谷療法所で反中先生や菊池先生に矯正をしていただき、一患者になって屈伸運動を行っていました。

それを見ていた患者さんは、先生である私が腰痛で患者として屈伸運動を行っている姿を見て笑っていらっしゃったものです。

それが、矯正治療を開始して2年後にひどいギックリ腰になってから、それ以降は腰痛が起こらなくなりました。

矯正治療を始めてから約2年間で私の身体が変わったのは間違いありません。

私は、整形外科では何度も脊椎分離症と診断を受け、あなたは一生腰痛とは縁が切れないでしょうと言われていました。

その後、駿河台日本大学病院で診察を受けたとき、私の脊椎分離症は見当たらないという診断を受けました。

矯正治療を始めて約3ヶ月目に起こった反応も、矯正のし過ぎで反対の矯正に変えてから約2年後に収まってきました。

最初に反応が起こってから収まるまで約4年かかったことになります。

この時の体験は私に多くのことを教えてくれました。

その他、一日だけ全身の筋肉の緊張状態が緩和して普通の人は何て楽な状態で生きているのだろうと普通の人並みな状態を体験できたり、絶えず頭痛があったのが頭痛がしなくなったり、首が動かないほどコチコチに硬くなっていたのがそうでもなくなったり、背中の筋肉がまるで綱引きをされているかのようにもの凄い力で引っ張られていたのが消えていたりしました。


  私自身が礒谷療法の威力を最も体験したのは、反中先生がきっかけでした。

反中先生によると、座布団矯正で1枚折りや1枚半折り、2枚折りなどは上半身を反らせることになるので、かえって良くないのではないかという見解なのです。

矯正で上体をそれだけ反らせると、日常生活でも同じように上体を反らせる必要があるというのです。

だから、座布団矯正は2枚か3枚くらいで止めておいたほうがいいという意見でした。

私は反中先生の意見に従って、座布団矯正を1枚半折りで行っていたのを、一時期3枚に増やしてみました。

それで、約1年が経過した頃でしょうか、何となく体が重いというかだるいという感覚を感じるようになりました。

以前は、こんなことはなかったのにと思い、おかしいと考え始めて、座布団の枚数を減らしてみることにしました。

2枚に減らしても変化はありませんでした。

そして、1枚折りに減らした時に劇的な変化が身体に起こったのです。

1枚折りの座布団で矯正治療を開始した途端に、突然血液が大腿部から全身へと急速に流れるのを感覚として知覚したのです。

同時に、全身がポカポカと熱くなるような感覚もともなっていました。

それは、まるで水が急激に何かに染み込むような感覚でした。

あるいは、水の中に何か色のついている液体を落としてそれが急速に拡がるような感覚でした。

せき止められいた水が勢いよく流れ出したという感じでした。

座布団の枚数を増やしたために身体の伸張が十分ではなく、血行が悪くなっていたことを私は悟りました。

そのため、何となく体が重いというか、だるいという感じがしていたのだということも理解しました。

それが、座布団の枚数を減らしたことによって、身体の伸張が十分に行われて急激に血行がよくなったのだということもわかりました。

このとき、本当に礒谷療法は凄い療法だと思いました。

もし、反中先生の意見に従って、私が座布団の枚数を減らさなければ、これを体験することはなかったでしょう。

そういう意味で、反中先生のおかげで、私は貴重な体験をすることができたわけです。

この体験で、座布団の枚数は1枚折りや1枚半折り、2枚折りなどでしないほうがいいという見解が間違っていたこともわかりました。


  礒谷療法所へ入ってから約5年が経過しようとした頃、ある出来事が起こりました。

そのことがきっかけで、私は院長の礒谷俊子先生から呼び止められてあることを言われました。

礒谷俊子院長から言われた話は、私にとってショックな内容でした。

私は礒谷療法所では必要とされていないのだと悟りました。

そして、礒谷療法所を去る時が来たのだと思いました。

私自身はずっと礒谷療法所のお手伝いをしたいと考えていましたので、礒谷療法所を去らねばならないということはとても悲しい出来事でした。

私自身は、自分の体調のこともあり、それまで開業することは考えていませんでした。

しかし、菊池先生からは私自身のためには礒谷療法所にいないほうがいいと言われました。

他の方からも、もう辞めたほうがいいと言われました。

それで、私も独立開業する方向で動き始めました。


  そうして、長年お世話になった礒谷療法所を退職することになり、平成7年の10月に地元の兵庫県赤穂市で独立開業しました。

その時、私は34歳で、まもなく35歳になろうとしていました。

その後、反中先生が磯谷療法所を辞められ、菊池先生も磯谷療法所を辞められました。

開業後は礒谷式力学療法の専門の治療院としてやっていました。


  ところが、独立開業してから2年後の平成9年に、偶然ほぼ同じ時期に前後して2つの発見をしました。

私が36歳のときでした。


  第一の発見は、治療の本質というのは刺激ではないかということでした。

そうして、刺激という観点から改めて治療というものを考察してみると、治療というものがどういうもので、その根底にはどういう問題があるのかということもわかってきました。

ほとんどの治療法は、この問題を内在しているということも明らかになりました。

ところが、力学整体ではこの問題が発生しないということもわかりました。

この発見によって、まったく新しい視点で治療というものをよく理解できるようになりました。

私はそれを偶然に発見し体系化することができたのです。

第一の発見をしたときには、自分の発見に驚き、興奮していました。


  第二の発見は、峯村浩著『こりと痛みと背骨の曲がり』(三天書房)という本を再読したのがきっかけになりました。

私は、何年も前にこの同じ本を読んだことがありました。

その時は、この本で説明されている自律整体健康法の考え方に感銘を受けました。

もしかしたら、自律整体健康法は礒谷療法より優れているのではないかという感想さえ持ちました。

そこで、自律整体健康法の施術を何度か試しに受けに行ったこともあります。

しかし、実際に治療を体験してみてからは自律整体健康法の技術に興味を失ってしまいました。

それが、何年も後になって、自律整体健康法の本を再び読んでみたところ、私の頭の中で自律整体健康法の「筋硬縮理論」の考え方と礒谷療法とが結びついたのです。

それがきっかけで、従来の礒谷療法を超える新しい理論を発見することになりました。

私は従来の礒谷療法とは異なる新しい理論を構築する作業に着手することになりました。

礒谷療法というのは非常によく考え抜かれた療法で、私はその理論と技術もほとんど完成されていると考えていました。

ところが、長年、自分の身体で体験したり、現場で実際の臨床経験を積んでゆくと、礒谷療法の理論ではどうしても説明のつかない現象などに出くわすことがでてくるようになりました。

当初は、そうした説明のつかない現象については礒谷療法の例外であるとして処理していました。

どんな優れた理論であろうと、すべてを完全に説明し尽くせることは現実にはあり得ないだろうと考えたからです。

しかし、私はそうした説明のできない現象についての謎が徐々に増えて、礒谷療法に対する疑問を抱え込むようになっていました。

しかし、新しい理論では、礒谷療法では説明のつかなかった現象や礒谷療法ではわからなかったことを説明できるようになったのです。


  第二の発見の理論の基礎がかたまると、私は親しい礒谷療法の講習生の人たちに新しく発見した2つの理論について講義をしました。

その講義を受けた人たちからは以下のようは感想が寄せられました。

従来の礒谷療法が旧理論だとすれば、第二の理論は新理論だと言ってもいいというものです。

また、新理論にもとづく療法は、もはや礒谷療法とはまったく異なる療法であるという意見でした。

そこで、私は新理論にもとづく療法を礒谷療法と区別するために力学整体と命名することにしました。


  その後、岡林龍之著『アヒムサ健康法』(柏樹社)、岡林龍之著『アヒムサ家庭療法』(柏樹社)を読みました。

岡林龍之氏の「アヒムサ健康法」を通じて、「人間科学協会」会長でカイロプラクターの大湊大鑑氏の「短縮則理論」を知り、力学整体の新理論を深めていきました。


 その結果、力学整体の基本原理は礒谷療法とはまったく異なる理論で構築されるに至っています。

また、力学整体の整体操法と自己整体法は礒谷療法とは異なる原理と理論で技術が運用されています。


  力学整体の理論と技術の運用は、力学整体研究所の会員の皆様のご協力のもとに教えられながら、自らも力学整体を実践しつつ、より進化・発展させるべく研究活動を継続しています。


 平成12年には研究所を開業当時の場所から現在の場所へ移転しました。

それに伴って、治療院の名称を力学整体研究所と変更しました。


 現在は、会員の皆様のお陰で力学整体研究所も力学整体に関する世界で唯一の研究機関と治療院という自負と自信のもと、会員の皆様に支えられ成り立っています。

力学整体研究所は、これからもあなたの力学整体研究所としてありたいと願っています。

来て頂いている会員の皆様への責任として、これからも力学整体研究所は発展拡大、質の向上と共に、気楽に来院できるアットホームな治療院を目指しています。

どうぞ末永くご愛顧のほどをよろしくお願いします。

力学整体研究所 代表 冨岡正喜





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